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2014/07/12

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歴史⑱ 日中戦争 (上海事件~南京事件)
日米戦に入る前に、
日中戦争のことを書くのを忘れましたので、
今日は日中戦争について書いておきたいと思います。


上海事件から本格的な戦争となるわけですが、
上海事件は第一次、第二次とあり、
ここでは第二次上海事件からのお話です。

1937年当時の中国の状況をおさらいします。

1911年に辛亥革命が起きて
中華民国が誕生するわけですが、
中華民国の勢力は中国南部だけでした。
中国奥地(西側)は
毛沢東率いる共産党勢力がり、
中国北部は北支(ほくし)と呼ばれる
張作霖をはじめとした軍閥が群雄割拠している状態でした。

中国には大きな勢力が3つ存在している状態です。


中国南部=国民党勢力(蒋介石)
中国西部=共産党勢力(毛沢東)
中国北部=張作霖をはじめとした軍閥勢力

このような状況下で
当時一番力を持っていたのは
辛亥革命を成功させた国民党軍率いる
中華民国です。
毛沢東率いる共産党の勢力は
この時まだまだ小さいものでした。

蒋介石は共産党の存在も危惧していたわけですが、
まずは北支の統制に取りかかります。
しかし、これがなかなかうまくいきません。
その中で、満州国を建国した日本とも、
小競り合いを起こします。
満州国が日に日に発展していくことは
蒋介石にとって気分の良いことではありません。
満州国の発展に伴い、
北支の勢力が中国側ではなく、
日本側に付く運動が起こり始めます。
(華北分離運動)
もし、北支が日本側に付くとなると、
万里の長城以南の北京まで
満州国になってしまうかもしれません。

蒋介石としては
何としても北支軍閥を抑えて、
中華民国の勢力を北部まで拡大しておきたい。

蒋介石は万里の長城を超えて、
満州側に攻め入ったり、
日本もときどき長城をこえて、南に攻め入ったり
小競り合いが続きました。
盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)

日本と中国は対立を強めていきます。

第二次上海事件前にもいろいろ事件はありましたが、
本格的な戦闘はこの上海事件から始まります。


1937年上海の共同租界地には
アメリカ
イギリス
フランス
日本
と4か国が入っておりましたが、
蒋介石はその中で日本だけに攻撃をかけます。

中国としては不平等条約で取られた租界地を
取り戻す戦いですから、
正当な戦いと言えるわけですが、
それなら、アメリカ、イギリス、フランスにも
同時に攻撃しそうなものです。
しかし、実際に中国が攻めてきたのは
「日本だけ」でした。

現在、中国の高校の教科書には
上海事件の記載がほとんどないか、
または、記載されていないようです。
上海事件の数か月前に起きている
死傷者数十人の小規模なぶつかり合いである
盧溝橋事件は書いてあるのに、
中国軍3万人を動員した上海のことは
書きません。
上海事件では死傷者4万人、死者1万人という
ものすごい事件であるのに、
中国の教科書に上海事件は書かれていないそうです。

一度中国の歴史教科書も実際に入手し、
読んでみたいと思います。
(宿題が多いです・・・・)


さて、実際の戦闘ですが、
中国軍3万人に対して、
租界地にいた日本兵200名。
租界地にいた日本人の民間人2万人。
結集する中国軍を恐れた日本は
佐世保から応援を呼びましたが、
それでも、合わせて4000人という少数でした。

40000人対4000人の戦い。

宣戦布告することなく突如として
攻め込んできたのは中国軍です。

1937年8月30日のニューヨーク・タイムズには
盧溝橋事件、上海事件、南京事件などの
一連の事件に対し
「日本軍は敵の挑発の下で最大限に抑制した態度を示し、数日の間だけでもすべての日本軍上陸部隊を兵営の中から一歩も出さなかった。しかし、それによって、日本人の生命と財産を幾分危険にさらしたのであるが…」と報じています。
また
1937年9月16日のニューヨーク・ヘラルドトリビューン紙によると、
「中国軍が上海地域で戦闘を無理強いしていたのは疑う余地はない」と報じています。

実際に中国軍は宣戦布告なしに、
4万の兵隊を上海租界地に結集し
突如、アメリカでもなくイギリスでもなく
日本だけを攻撃してきたわけです。

当時の日米間も対立関係になりかけていた状況下で
アメリカの新聞が日本優位な報道をしているわけですから、
中国軍からの戦闘であった可能性は極めて高い。

日本はまさに排水の陣。
負ければ海に突き落とされるわけです。
1937年8月13日
中国軍は機関銃による射撃を突如として始めました。

この戦いで日本は
日露戦争の時の旅順奪回作戦と同じくらい、
多大な被害となりました。

この戦いで裏で手を引いていたのは
なんと日本と同盟を結んでいたドイツです。
ドイツは500名ほどの軍事顧問を中国国民党軍に送り、
中国兵を訓練し、作戦を指示していました。
武器はチェコ軍が中国に送りました。
蒋介石とドイツは裏で手を結んでいたわけです。

この事実を知った時は
私も正直驚きました。
日独伊は三国同盟を結んでいますし、
当時、日本とドイツは仲が良いと思っていました。
しかし、実際には違っていた。
良く考えれば、
そもそもドイツのヒットラーは民族主義者ですし、
世界で一番優秀なのはアーリア人で
特に優秀なのはその中でもゲルマン民族と
主張していたわけます。
有色人種など、もともと仲良くする気もありません。
ヒットラーは日本人のことを「サル」と言っておりました。
ヒットラーの有名な著書「我が闘争」の原文では
日本人のことをサルと言っているわけですが、
翻訳時に削除されたそうです。
和訳は大学生の頃読みましたが、
まさかそんなことが書かれてたとは
露ほども思いませんでした。

ドイツの手引きにより戦力を増強し
日本を攻撃した中国ですが、
その裏でさらに手を引いていたのは
コミンテルンだったといわれています。
コミンテルンとは世界中の国を共産主義にするために
活動する団体です。
ソビエト連邦の中心にコミンテルンがおりました。

コミンテルンはもちろん中国を共産国にするべく動くわけですが、
蒋介石率いる国民党軍が日本と消耗戦をすればするほど、
相対的に毛沢東率いる共産党軍が力を付けることになります。
コミンテルンは国民党軍にスパイ(張治中)を送り込み、
蒋介石が日本と戦うように策略を企てていました。
戦後の結果を見ればわかるように
中華民国は毛沢東によって
中華人民共和国という共産国となりました。
コミンテルンの画策が見事に成功したわけです。
しかし、当時の誰も
コミンテルンの陰謀を暴けず、
日本と国民党軍は戦争を始めます。

ドイツと手を組んでいた国民党軍は
圧倒的な人員数と兵器で相当有利だったわけですが、
日本は多大な被害を出しながらも上海の国民党軍を撃破。
見事に勝利を収めました。
その後、国民党軍は南京まで撤退。
この時、国民党軍には逃走した兵が数多くおりました。

日本はすぐに追撃をかけるため敗残兵を追い、
南京に入ります。

敵が降伏しない限り、
敗残兵をやっつけなけば
必ずいつか反撃されるわけですから、
日本としては蒋介石が兵を引き連れ、
白旗を上げて投降しない限り
攻め込む以外道はありません。

南京は中華民国の首都であり、
国民党の本拠地です。
「難攻不落の南京城」といわれるほど、
城壁に囲まれた、強固な街でした。
ここに日本が攻め入ります。

中国が「南京大虐殺」とありもしない事実を
吹聴しているのは、
この南京での日本と中国との戦いのことです。

日本軍は南京城に攻め入る前に
投降勧告としました。
日本軍は南京城の中に何人兵士がいるのかはわかりません。
この投降勧告の時には市民も逃げてよいことに
国際法上なっておりますが、市民は出てきません。

日本は投降勧告後に南京城に攻め込むのですが、
実はこの時、蒋介石はすでに逃げ出して
南京城にはいませんでした。
敵の総隊長が真っ先に逃げ出して不在という
日本軍では考えられないことですが、
日本が南京城に攻め込んだときは
すでに蒋介石はいませんでした。

さて、指揮官を失った国民党軍の兵士は
なぜ、日本の投降勧告に従わなかったのか?

親分が真っ先に逃げ出したのに、
なぜ命を懸けて日本軍を戦う理由があるのでしょうか?
通常なら、黙って日本に投降しても良いようなものです。
武器を捨て、降伏しそうなものですが、
しかし、ここに日本と中国の常識の格差がありました。

中国軍には戦闘を放棄して逃げ出す兵士をやっつける
「特選隊」という部隊がいます。
特選隊はもっぱら戦闘から逃げ出す中国人を殺すために
存在しておりました。

中国人が中国人に銃を向けるわけです。

特選隊と聞くと、ドラゴンボールの
「ギニュー特選隊」を思い浮かべてしまいます。

フリーザに対して反乱を起こした兵士(ベジータ)を
やっつけるためにギニュー特選隊がやってきます。
鳥山明さんが中華民国の「特選隊」のことを
知っていたのか知らないのかはわかりませんが、
見方が見方をやっつけるために個別の部隊を持つという
設定は、もしかしたら、中国の特選隊から
ヒントを得たのかもしれませんね。
真相はわかりません。蛇足でした。。。。



日本人にはとても信じられないようなことですが、
国民党軍の兵士は逃げ出すと
国民党軍の特選隊に殺されます。

しかし、この時の南京城内の事情を
日本軍はもちろん知る由もありません。

さらに、この時、国民党軍は、
今までの人類の戦争にはなかった
特別な戦法を編み出します。

一見民間人にしか見えない
軍服を着ていない兵士、
便衣兵(べんいへい)を作り出し、
日本軍を攻撃してきたわけです。

軍服を着るのは民間人を戦争に巻き込まないためです。
古来からの人類の戦争を見るとわかるように、
戦争で戦うのは軍服を着た戦士だけであって、
民間人ではありません。
民間人と軍人との差が良くわかるように軍服を着るのです。

一般の船にあげる日本国旗(日の丸)と
自衛隊の艦船が上げる日本国旗(日章旗)が
違うのはこれが軍艦であると自ら主張するためです。
民間の船が誤って攻撃されないために日章旗を上げるのです。
今も昔も、軍服を着たり、日章旗をあげたり、
民間人と軍人の差を出すことで
民間人の被害を最小限に抑えるという人類の知恵であり、
騎士道にも似た道徳でもありました。

しかし、南京城の中には
民間人のふりをした軍人である便衣兵がいるわけですから、
たちが悪い。


さて、ここまでの状況を確認しますと
日本軍は南京城の中に、
①蒋介石がすでにいないことを知らない。
②投降勧告をしても投降する兵士がいない。
③便衣兵がいて、兵士と民間人の差がわからない。

この3条件の中で戦うことになるわけです。

また
投降するためには国際的な厳密なルールがあるわけですが、
そのルールは
①敵の大将が
②白旗を上げて
③部下の兵士全員と
④武器を携行して
投降するというルールがあります。

①~③までは言わずもがなですが、
④武器を携行して出てくる必要があるわけです。

武器を携行していないと、
投降しない誰かが横から狙い撃ちなんてことが
起こりかねません。
戦争はそもそも人と人が殺しあうという
日常の常識は全く通用しない世界です。
日常の常識を考えるのなら
そもそも殺し合いなどできる筈がありません。
戦場は日常の常識では考えられない作戦や戦略、
裏切り、寝返りなど、だまし討ちなど、いくらでもあり得る。
最終的に勝利することがけが目的であり、
基本的には手段は選びません。
だから戦争なのです。

基本的にはルールがないのが戦争なわけですが、
だからこそ、上記国際法で戦争に関するルールが
定められているわけです。

敵の大将が投降せず、
一般の兵士が投稿してくる場合は
撃ち殺して良いんです。
そうしなければ、
待ち伏せしていた別部隊が突然横から出てきて
不意打ちをされるかもしれません。

戦争は裏切りが横行している世界。

そんな世界だからこそ投降するための
ルールが国際法で定められているわけです。
中国軍も日本軍ももちろんそのことは
十分に分かっている。

しかし、もはや敵の大将である
蒋介石は南京にはおりませんでした。


そんな状況下で日本軍は南京城に攻め入ります。

中国兵士と便衣兵が入り乱れる中、
一般の市民も巻き添えとなったわけです。

これを「南京大虐殺」と言っているわけですが、
実際には日本軍はそれほど殺してはいません。
南京城の中で逃げ出す国民党軍の兵士は
前述の特選隊に打たれるわけですから、
中国人による中国人の殺人も場内であったわけです。

死体1体1体から弾丸を取り出せば、
日本軍による射撃で死んだのか
中国軍の射撃によりしんだのか、
調べることができたのかもしれませんが、
もちろんそんな調査は行われませんでした。


そもそも「虐殺」とは
不法殺害なわけです。

戦争自体が「不法」なんじゃないのかと
思う人もいるかもしれませんが、
最近の集団的自衛権の話ではありませんが、
戦争をする権利(交戦権)はすべて国に認められてる
国際法上の権利です。

戦争をすること自体に不法性はありません。


南京で不法な殺害があったのか?

日本軍が行った戦闘に不法性があるのなら、
それは虐殺としてもよいですが、
日本軍は国際法に何一つ違反はしていません。

便衣兵がいることで、
日本軍は兵士と民間人を区別できません。
これは、南京城内にいる本当の一般市民が
人質になっていたのと同じです。
国民党軍は日本からの投降勧告があった時点で、
一般市民を逃がすことをせず、場内にとどめました。


もし、この記事をお読みの方が
当時の日本軍にいてた場合を考えてください。

誰が敵かわからない状況の中で、
城の中に攻め込むわけです。
さらに、敵の守る城に攻め込むときは
通常攻め込む側は守る側の3倍の兵力がいると
言われています。
城に攻め込むとういうのは、それほど大変なことなのです。

かなりの覚悟がなければ、
城に攻め入ることはできません。

もし、私が日本軍に当時いたとしたら、
私は、基本的には軍服を着た兵士を狙いますが、
軍服を着ていない人が銃を持って向かってきたら・・・
おそらく、反撃するでしょう。



もちろん、一般市民の中にも
立ち上がって日本軍と戦おうとする人もいたと思います。
しかし、戦争に参加する場合は、当然死というリスクを
負うことになります。

それは中国国民であっても日本国民であっても全く同じです。


南京城での戦いで
いったい何人死んだのか?
いわゆる「南京大虐殺説論争」には
私のような「虐殺否定説」「戦時国際法上合法説」を
説く人もいますが、
30万人虐殺説や
10万人虐殺説など、
国や立場によって大論争が起こっています。





ここで私は考えます。

中国が南京事件を特段に大きく取り上げ、
日本が中国に侵略してきたと中国は主張するわけですが、
上海事件を見ればわかるように
仕掛けてきたのは中国が最初です。

日本が中国に侵略したという主張を通すためには
中国政府は上海事件のことを極力隠しておきたい。
もし、上海事件を大きく取り上げられてしまうと
中国が最初に攻めたということがわかり、
「日本が中国を侵略した」という理屈が通らなくなって
しまいます。

中国の高校教科書に
上海事件の記載がないのも、
そう考えれば、つじつまが合います。

ドイツとチェコと手を組んで行った
上海事件を隠すために、
南京で行われた普通の戦争行為を
南京大虐殺として特段に大げさに取り上げ
上海事件を隠ぺいしようとしているのだと、
私には思えます。


100歩譲って、
中国が隠ぺい工作をするのは
自国の主張を通す1つの方法ですから、
当然の行為であるとしても、
日本側が中国の隠ぺい工作に乗っかって、
南京事件だけに焦点を当て、
議論している限り、
国際的な理解は永遠に得られないと思います。

タイムマシンでもあって、
過去に戻って、当時の南京を調査することは
残念ながら誰にもできません。

日本有利の資料はいくらでもありますし
また逆に中国有利の資料もいくらでも出てきます。

また、
そもそも歴史的資料がねつ造であるかどうかも疑わしい
わけですから、
最終的な歴史的「事実」を特定することは
非常に困難な作業です。

日本が中国に対して主張するべきは
南京で何人死んだのかということではなく、
南京事件の原因であり、
そもそも侵略ではないことを
国際社会に訴えていくべきだと私は思います。


国際社会、つまりアメリカ・イギリス・フランス・ロシアなどの
戦勝国である連合国側はもちろん、
敗戦国であるドイツ・イタリアなども
日本は侵略していない、という主張を受け入れることは
残念ながら絶対にありません。

どんなに理が通っていても
絶対に日本の主張が通らない理由があります。

日本が武力で他国を侵略し
非道な略奪と搾取を繰り返した
という大前提がなければ、
アメリカが原爆を落とした理由がなくなってしまいます。
もし、日本が侵略をしていないことが
国際的に認められてしまうと
原爆を落としたアメリカが
「平和に対する罪」を負うことになって
処刑されるのは東条英機ではなく、
ルーズベルトになってしまいます。

また、

侵略の限りを尽くしてきた
アーリア諸国すべてが
しょく罪しなければならなくなります。

実際に世界のほとんどの陸地を
植民地化したのは白人であり、
日本の領土拡大と支配方法は
白人がした植民地支配とは
全く性質を異にする方法でした。
現地発展のために多大な投資をし、
開発し、現地人とともに成長しています。
これは、日韓併合と満州国の発展の様子を
詳細に見ればよくわかります。
もちろん、その中で、屈辱的な思いをした
現地民もいたことは確かで、
ある程度迷惑をかけたこともあるかともいます。
しかし、
アーリア人の植民地支配の方法とは
全く違うわけです。
どちらが、残虐的・非人道的であるかは
白人の侵略の歴史を見れば
一目瞭然です。


日本は過去一度も
軍国主義であったことはありませんし、
白人的な侵略をしたこともありません。

しかし、その主張は
決して白人社会は認めませんし、
認める筈がありません。




ただ、だからと言って
大変一面的である自虐的歴史観を
そのまま受け入れることはできません。

日本としては
南京事件が起きたそもそもの原因(上海事件)を
国際社会に訴えるということは重要で意味のあるに
変わりはありませんし、
また、
中国の私からするとただの隠ぺい工作に乗っかって、
南京大虐殺をそのものを議題として
否定することに注力することは
逆に論争を荒げるだけですので、
得策とは思えません。

中国が隠そうとしている上海事件の真相を
明らかにすることこそ、
翻って南京大虐殺説そのものを否定することに
つながっていくのだと、私は思います。

間違った用語である
「南京大虐殺」という言葉を用いず、
この日記では正しく「南京事件」としました。
南京で不法な虐殺があったかどうかも分からないのに、
日本人が南京での事件を「南京大虐殺」
と言ってしまうと
それはもう、ある意味、虐殺があったということを
前提に話しているように国際社会に思われてしまうので、
南京で起きた普通の戦争で
一般市民がいくらかは犠牲になった事件
と言うのが正しいと思います。



ということで、
次回はいよいよ「大東亜戦争1 アメリカの挑発」
を書いていきたいと思います。

今回も長文ですいません・・・・


おしまい。




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