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ザ・バイクマン日記
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2014/06/26

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歴史⑮ 大国の政策2 (インド支配とアメリカ支配の例)
日本が統治した朝鮮半島と満州国の実態に入る前に、
白人が支配した植民地の実態の例を
2つ上げておきたいと思います。


だいたい2パターンありまして、
A:すでにもともとの文化程度が高い地域を植民地化する場合
B:部族に分かれた原住民が住む地域を植民地化する場合
2つほどありますので、
ここではAをインドを例にとって、Bをアメリカを例にとって
お話してみたいともいます。

今までの歴史シリーズを読み返すと
圧倒的な暴力で植民地支配をしているようにも見えますが、
実際には暴力だけでなく、
非常に計画的・作戦的に植民地支配をしております。



A インド植民地の支配

インドの紙幣を見たことがありますでしょうか?
インド紙幣には16の言語が記述されています。
全て国の認める公用語なのですが、
ざっと見てみますと

アッサム語:ベンガル文字
ベンガル語:ベンガル文字
グジャラティ語:グジャラート文字
カンナダ語:カンナダ文字
カシミール語:アラビア文字
コンカニ語:デーバナーガリ文字
マラヤラム語:マラヤラム文字
マラティ語:デーバナーガリ文字
ネパリ語:デーバナーガリ文字
オリヤ語:オリヤ文字
バンジャブ語:グルムーキー文字
サンスクリット語:デーバナーガリ文字
タミール語:タミール文字
テルグ語:テルグ文字
ウルドゥ語:アラビア文字
そして英語


ああ、書くのが疲れますが、
こんなにも多くの言語が1枚の紙幣に印刷されています。

これは
イギリスが支配した際に
表向きは「自分たちの言語を大切に」とうたいますが、
実際には言語統一による民族の結集を恐れ、
15以上に分かれいた言語をそのまま推奨したためです。

違う言語を使う人同士は意志の疎通が困難ですから
情報交換ができず、一致団結してイギリスに対抗する
ことが困難になります。

こうして言語の壁を利用してインド人が団結することを
阻止していきます。

またインドにもともとあった宗教も大いに利用します。
インドにはもともと
ヒンドゥー教
イスラム教
シーク
など、大きく分けて3つの勢力の宗教が存在していましたが、
こうした宗教対立を利用して
宗教同士で争いを起こさせます。

言語で壁を作り、宗教的な対立を助長して争いを起こさせる。
インド人同士での情報の共有ができず、
インド人同士で恨みあいます。

このような方法で
4億人のインド人を
たったの2000人のイギリス人が支配していました。



今でもベンガル地方などでは選挙のたびに
殺し合いが起こるほどだそうで、
宗教的対立は現在も続いています。
宗教による対立助長の影響は相当に大きく、
インドがイギリスから独立した1947年には
インドとパキスタン分離独立ということになってしまいました。

今でもインドとパキスタンは仲が悪いですね。。。


こうした宗教による対立を助長するやり方は
今でもイラクなどで顕著にみられます。
アメリカは2003年にイラクに侵攻し、
イラクのフセイン大統領を殺害しました。
9.11テロがきっかけとなり、
イラクのフセイン大統領が大量破壊兵器を持っているから
という理由でイラクに侵攻します。

この戦いでの
多国籍軍死者220名程度
イラクの民間人犠牲者500000人
( アメリカ・カナダの医学詩メディシン・ジャーナルによると
2013年の統計で50万人以上の犠牲者が出た
という統計も出てきています)


これを戦いというのでしょうか?
アメリカは大量のハイテク兵器を投入し、
殺しも殺した50万人。
数字だけを見ると、完全なる虐殺行為です。

やっていることは虐殺行為そのものですが、
イラク進攻のアメリカ軍の作戦名は
「イラクの自由戦争」だそうです。

戦いの結果、
フセイン大統領はアメリカのブッシュ大統領に
殺害されたわけですが、
問題の大量破壊兵器はイラクから見つからず、
アルカイーダとの関係も後の調査で否定されました。

この結果だけを見れば、
処刑されるのはフセイン大統領ではなく
ブッシュになってしまいますね。


フセイン大統領の死後、
イラクは再び宗教による対立が激化していき、
現在に至ることになります。

実はフセイン大統領は
宗教による対立を懸念していた人物の1人でした。
イスラムの宗派対立をする前に、
われわれはアラブ人である、と
宗教対立をナショナリズムによって緩和し
国を強い力で1つにまとめることに成功しました。
「アラブ人」という枠でくくっていくと、
イラクもイランもサウジアラビアもシリアも
多くのアラブ人がおりますので、
フセイン大統領の影響は周辺国まで広がっていきました。

これら産油国の力がアラブ人という枠で一致団結されると
困るのがイギリス・アメリカを中心とする白人社会です。
産油国は常に宗教同士でいがみ合ってもらって
力をつけることなく、お互いに戦って消耗してもらう
これによってイギリス・アメリカを中心にした
白人国家の優位性が保てるわけです。


イギリスがインドを支配していたやり方は
今でも脈々と引き継がれているようにも見えますね。



すいません、もうちょっと話を飛躍させます。
ちょっとここで日本の話をしておきます。

日本にも宗教というか、まぁ、神道が古来よりありますし、
仏教も同様に混在していおります。
神道と仏教の区別はややつきずらいですが、
私は宗教家ではないので、厳密な区別はできません。

15~17世紀に大航海時代がヨーロッパで始まると
遠く離れた日本にもキリスト教が伝来してきます。
キリスト教と合わせてヨーロッパの文化も日本に
入ってくるわけですが、
新し物好きの織田信長は、目新しいヨーロッパの文化を
大変気に入り、宣教師の布教活動を許可しておりました。
しかし、信長は戦いの天才です。
ヨーロッパ人が世界中を荒らしまくっている現状や
その方法にいち早く気が付きます。

その方法とは、
まず宣教師を送り、キリスト教を広めます。
その国を治めていた王様や殿様よりも
キリスト教の神様の方が偉い、ということになりますので、
王様の権威は落ちます。
キリスト教徒の増加によって
信者が反乱を起こすようになると、
ヨーロッパから軍隊が派遣され、
「キリスト教徒を守れ!」と
もともとあった国を転覆してしまう。

信長はそのことを十分に理解していましたが、
当時国内の仏教集団による一揆が多発していましたので、
これをキリスト教を利用して対抗させようとしたです。

信長はキリスト教を利用するのと同時に
国内の宗教団体を
徹底的に弾圧します。
坊主はもちろん、女・子供まで
全て皆殺しにしました。
「俺は鬼だ!」とまで言ったそうです。
彼は宗教家による政治への介入を
徹底的に排除したわけです。

本能寺の変により、信長は暗殺されますが、
その後、豊臣秀吉によるバテレン追放令
徳川家康によるキリスト禁止令により
国内の宗教も外国の宗教も
日本の政治に介入できなくなりました。
(神道だけは継続しています)

政教分離は日本ではすでに1600年代に完成されていた。
ということになります。
進んでますね。



さて、話をもどして続いて

B アメリカ植民地支配

アメリカ大陸にはもともとインディアンが住んでいたわけですが、
ここは、まぁ、「国」という形はなく、
部族同氏は住んでいた、という形です。

国がないわけですから、
イギリス側からすると、比較的問題は少なく、
随時点在する部族を殺しながら開拓してったわけですが、
これも、単に「暴力」だけでなく、
非常に狡猾に侵略の手を広めました。

まず、インディアンを弱らせるために
バイソン(バッファロー)を殺しました。

インディアンとバイソンは共生関係にあり
テント・衣服・食糧など、
インディアンの生活はバイソンがいないと
成り立たない。
そのことを知ったイギリス人は
バイソンを徹底的に殺します。
2億頭いたバイソンを1000頭になるまで殺します
ちなみにイギリス人はバイソンを食べるわけではありません。
単に殺すだけです。
(タンは食べたみたいです)
こうしてインディアンの生活そのものを破壊し、
弱らせていきます。

また、もっとも象徴的だったなのは
英米戦争の時だと思います。
イギリスとアメリカが戦争をするわけですが、
その時、お互いにインディアンを抱え込みます。
有名なのはアメリカ側に付いたチェロキー族ですが、
白人はまずインディアン同士で戦わせます。
(インドの場合と同じですね)
この戦争はアメリカ側の勝利に終わり、
戦いを指揮したアンドリュー・ジャクソンは
アメリカ合衆国第7代の大統領となっています。

白人のために力を尽くして戦ったチェロキー族ですが、
戦争が終わり用済みとなり、
彼らの住んでいた地域に金脈が発見されると、
1830年に「インディアン移住法」ができ
その3年後チェロキー族は1000キロ離れた居留地に
強制移動させられます。
15000人いたチェロキー族のうち、
4000名が移動中に亡くなっています。
「涙の旅路」とかで検索するといっぱい出てきます。

涙の旅路というか「死の行進」という感じが
私にはしてしまいます。


インディアン居留地は僻地に作られます。
有名なのは原爆試験場のあるロスアラモス
また、賭博場もインディアン居留地と一緒にあることが多い。
これは、インディアン居留地には
州の法律が適応されないためです。





イギリス人はインディアンをどんどん殺して
ときにだましてお互いに殺し合いをさせ
どんどん侵略して、西へ西へと進みます。

やっていることは虐殺なのですが、
これを「フロンティア・スピリット」と呼びます。
なんだか、イラク進攻の時の作戦名
「イラクの自由戦争」と似てますね。



さてさて、
話をようやく本題に移して
日韓併合と満州国。

日本はどのように「占領」していたのでしょうか?
いよいよ次回
「大国の政策3 日韓併合と満州国の実態」です。


おしまい。

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