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2014/05/08

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歴史⑩ 日露戦争(戦争の原因)
さてGWが明けて久しぶりのザ・バイクマン日記。
歴史シリーズも10回目に突入です。

日露戦争編のスタートですが、
その前に、ロシア帝国の侵略の歴史について
少し触れておきたいと思います。


今からほんの120年前は
世界は白人によって支配されている状態でした。
白人社会の帝国主義が世界を席巻している状態です。
白人(アーリア人)以外で独立を保っている国は
エチオピアと中国の一部、日本だけ、という
今から考えると、とんでもない状況でありました。


ロシア帝国も自らの支配を拡大させようと
躍起になっていたわけです。

ロシア人が多く住んでいるのはもちろんモスクワです。
まずモスクワの位置を確認してみましょう。

モスクワはユーラシア大陸の大分西で
ヨーロッパに近いところにあります。
ま、白人の世界ですから、
ヨーロッパに近いところに多く住んでいるわけです。

白人は、おおむねウラル山脈の西側に住み
ウラル山脈の東側はもともとモンゴル系の民族が
住んでおりました。

ロシア帝国の侵略の動きはまず
スウェーデンやトルコと戦い、
現在のサンプト・ペテルブルグまで出て、
初めて「貿易港」を手に入れます。
しかし、十分な不凍港でないために、
貿易による利益があまり得られず、
植民地支配のトップを走るイギリスやフランスのようには
いきませんでした。

そこでトルコをやっつけて地中海まで出ようとしますが、
ロシアの拡大をけん制したイギリス・フランスが立ちはだかり、
クリミア戦争やトルコとの戦いに敗れ、
西側への進出をあきらめます。

そこで西側諸国の植民支配が比較的手薄になっている
東側に領土を拡大し、ついに日本海まで出ます。
ウラジオストックという地名は「東を征服せよ」という意味です。


ウラジオストックの位置はここです↑


19世紀後半、ウラジオストックあたりは
清の領土でした。

清の領土にロシアがどんどん入ってくるわけですが、
不思議なことに清露戦争とか露清戦争というのは
歴史的に起こっていません。
今の常識で考えると、
国境線を越えてロシアが入ってくるわけですから
戦争になりそうなものですが、
このころの国境というのは
今に比べるると非常にあいまいな状態で
分かりずらい状態であったことが分かります。

清がアヘン戦争やアロー戦争で
弱体化していたこともありますが、
ロシアは戦争をせずに、
どんどん清の領土を侵略したことになります。

この辺も今の常識では理解できませんが、
当時は国の形が今ほどはっきりしていなかった、
ということですね。


ウラジオストックまで出たロシアですが、
ここも十分な不凍港とまでは言えず、
ロシアは凍らない港を求めて
更なる南下政策を推し進めます。


そんな折に日清戦争で勝った日本が
遼東半島を取ってしまったものですから
目の上、じゃなかった、目の下のたんこぶ。
非常に邪魔ですので、
フランス・ドイツと手を組んで
遼東半島を清に返還させます。

ロシアとしては
すでに近代化が進んでいる日本に
遼東半島を支配させるより、
旧態依然の封建制度で
弱体化している清に支配させていたほうが、
のちのち遼東半島を取りたいと思っているので
たいへん都合が良いわけです。


ロシアの計画は十分な不凍港を手に入れるため、
遼東半島を取り
朝鮮を取り
日本の佐世保を取り、
台湾まで南下する計画でした。

現にロシアは満州(清)を横切り、
遼東半島の先端にある旅順に
強固な要塞を築きます。
有名な203高地です。

これもまた歴史の不思議ですが、
遼東半島は清の領土で、他国の陣地です。
清がしっかりとした国であれば、
自分の領土に他国の軍隊が入ってくるわけですから、
戦争になりそうなものですが、
アヘン戦争やアロー戦争に敗れ、
清はすっかり弱体化し、
戦争をする力はもはやありませんでしたから、
ロシア軍がどんどん入ってきて
勝手に要塞を作り上げても、
何もすることができませんでした。

ここからも、
現在考える国境という観念から考えると、
120年ほど前の国境線というのは
今よりもずいぶんと曖昧なものだったと
いうことができると思います。



三国干渉がロシアの南下政策上の戦略であったことが
203高地に要塞を作ったという歴史的事実から見ても
はっきりわかりますね。

もし、遼東半島が日本の支配地のままだったら、
203高地に要塞は作れなかったはずです。



ちょっと話が脱線しますが、
日清戦争で日本が手に入れた植民地は
遼東半島と台湾ですが、
三国干渉で返還させられたのは
遼東半島だけでした。

これは台湾が清の一部とみなされていなかった、
と言うことができると思います。
清もまた台湾を自分の国の一部とは思っていませんでした。
というのも、台湾のことを「化外の地」と読んでいました。
つまり、化け物の住む文明の及ばない地、として
積極的には支配していませんでした。


日清戦争の結果、
台湾が日本のものとなったわけですが、
清もまぁ、自分の領土を取られたとまでは
思っていなかったわけです。

つまり、国ではなかった台湾という島を
日本が手に入れたというくらいの感じでした。



台湾の歴史も実に興味深く、面白いです。
歴史は知れば知るほど、奥深く、非常に多角的。
また、「知らない事」が圧倒的に多いんだなぁと
つくづく思います。



さてさて、話をロシアに戻します。

ついにロシアは念願の不凍港、旅順を手に入れ
さらに203高地という強固な要塞も築きました。

しかし、ロシアの南下政策はまだまだ止まりません。
今度は朝鮮を横切り、釜山に軍港を作る計画を立てます。

ちょっと釜山の位置を確認しておきましょう。


日本の目と鼻の先に軍港を作る計画です。

釜山に軍港を作られると、
日本がロシアの植民地となる可能性が
急激に高まります。


白人が支配した植民地の状況を考えれば、
日本でも
優秀な若者は両手首を切られ、
女は自由に乱暴され、
死ぬまで裸で牢屋に入れられる、
なんてことになりかねません。
実際に白人が支配した植民地で
行われていたことです。
詳しくは
「植民地の実態①」
http://thebikeman.jp/nikki/2014-04-04.html
「植民地の実態②」
http://thebikeman.jp/nikki/2014-04-09.html
に詳しく書いています。参照ください。


日本としては何としても釜山に軍港を作らすわけには
いきません!!


まさに玄関のドアを強盗がガンガン叩いている
切羽詰まった緊迫した状態です。


大国ロシアと戦争をして、
日本が勝つ見込みは薄い、というのが
軍部の考えでした。
しかしこのまま指をくわえてみていると、
いずれ日本もロシアの植民地となってしまいます。

植民地となるのを黙って見ているか?
勝つ見込みのない戦争をするか?


なんと、ここで日本はロシアに対して
宣戦布告をします。

こうして日露戦争が始まっていきます。


次回は日露戦争2(戦い編)です。


今日はこんなところで

おしまい。





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